二、泡盛の歴史
500年以上前に生まれた琉球王朝のお酒

 蒸留酒の起源は紀元前300年頃の古代ギリシャまでさかのぼることができます。13〜14世紀頃には中国や朝鮮、東南アジアでも穀物や椰子の樹液、糖蜜などによる蒸留酒が造られるようになっていました。10世紀頃にはすでにシャム(現在のタイ国)の蒸留酒が中国に運ばれていたという記録もあります。

 15世紀初頭、中国や東南アジアと貿易を始めた琉球王国は、進貢船によってさまざまな貿易品を輸入し、シャムからは蒸留酒も輸入していました。やがてその蒸留法を習い、1470年頃には今の泡盛の原型の国産化が始まったといわれています。

 淘汰を重ね、磨き抜かれた泡盛は貿易の品として珍重され、中国や日本に運ばれて唯一無二の酒として喜ばれました。1667年以降、泡盛造りは首里王府の徹底した管理下に置かれ、王府で認められた家以外での泡盛造りを禁止するほどでした。この泡盛造りを認められたのが、いわゆる「首里三箇」と呼ばれる崎山・赤田・鳥堀の3村の住人で、古来より泡盛を造り続けてきた焼酎職と呼ばれる30戸と、追加で認められた10戸の計40戸でした。もし泡盛造りに失敗したりすると、軽いものは蒸留機の没収、重いものでは家財没収のうえ島流しにされたといいます。

 琉球王国が崩壊し沖縄県が発足した1879年、泡盛の自由化も始まり、ピーク時の1898年には760戸もの酒造業者がありました。
その後酒税法の適用や不況で減り続け、第二次世界大戦で全ては破壊され、戦後は泡盛の製造も禁止されました。泡盛がようやく復活したのは1947年、そして現在に至ります。500年以上もの歴史を持つ泡盛が、今また熱い支持を得ているのも、飽きのこない確固たる魅力がある証拠でしょう。


「進貢船」  沖縄県立博物館所蔵


『泡盛」名前の由来
 泡盛の名前の由来についてはいくつかの説があります。元々は「サキ」などと呼ばれ、歴史に登場した頃は「南蛮酒」、江戸幕府に献上するようになった頃は「焼酎」「焼酒」と呼ばれていました。「泡盛」として初めて記録上に出てきたのは1671年のことです。
 最も有力な説は「泡」説で、昔から、蒸留したてのアルコール度数を調べるため、器から器に酒を落とし泡立ち具合をみたというもので、強い酒は注ぐ時によく泡だつことから泡盛の名前が生まれたといいます。その他にも、昔は原料に粟を使っていたからという説。九州の焼酎と区別するために薩摩藩が「泡盛」と名付けたという説もあります。

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